人の好みも価値観も変わり続ける【TED】「歴史の終わり」という錯覚
「歴史上の私たちがいる時点は、歴史の終着点ではありません。世界は変わるものであり、良くなることも多いのだと理解する必要があります。」
Bence Nanay
概要
TEDエデュケーターのベンス・ナナイがTEDに登壇。
「歴史の終わり」という錯覚について講演した。
私たちは、今いる時点から物事を考えがちだが、私たちの好みや価値観、そして社会は、予想以上に変わっていくものだと語る。
それでは早速、その興味深い内容をシェアしよう。
内容
鉄道が地域を繋いで人々を運び始めた時、多くの人は、それが馬を置き換えるとは思っていませんでした。
100年もせず、人はまた同じ予想を繰り返します。
自動車に電話、ラジオ、テレビ、コンピューター。
陳腐化させうるものがあるにも関わらずです。
そんなものが普及するはずがない、こう主張する専門家さえいました。
もちろん、未来がどうなり、どんな新製品が発明されるのかを、正確に予測することはできません。
しかし、私たちは、現在の技術が未来をどう変えるのかの予想も、よくし損なっています。
最近の研究で、自分に関することでも同じ傾向があるのが分かりました。
人は、自分の将来の変化を、うまく予想できないのです。
3人の心理学者が2013年の論文、「歴史の終わりという錯覚」で、自分の変化に関する予想力の弱さについて論じています。
人は、いつの時点でも、自分を最終形態とみなしていることが論文で浮き彫りにされてます。
彼らは、18歳から68歳までの7000人を対象として調査し、そのうち半数には、現在の性格・価値観・好みを10年前はどうだったかと合わせて、答えてもらいました。
そして、残りの半数には、現在の自分と10年後の自分の予想を答えてもらいました。
また、年齢による変化率も調べました。
すると、どの年齢層でも、若い側が予想する変化は年配側が予想する変化よりも小さかったのです。
20歳の人は30歳になっても同じ食べ物が好きだと思っていますが、30歳の好みは10年前と変わっていました。
30歳の人は40歳になっても同じ友達だと予想しますが、40歳に人は10年前の友達と付き合いが途絶えてる傾向がありました。
40歳の人は自分の価値観は変わらないと予想しますが、50歳になると考えはまた変わっていました。
全体として年配の人は若い人より変化が少ないですが、自分の今後の変化を過小評価していることに変わりはありません。
人生のどの地点でも、「歴史の終わり」という錯覚は訪れるもので、個人的変化は概ね過去のものと思う傾向があります。
この考え方の結果として、現在の好みに基づいた将来の選択に、過剰投資する傾向があります。
現在好きなミュージシャンを10年後に見るために払おうと思う金額は、10年前好きだったミュージシャンのために今払おうと思う金額より、平均で6割以上高いのです。
コンサートのチケット代金は大したことではありませんが、私たちはもっと重大な事柄についても、同様の計算違いをしがちです。
例えば、家の購入や、配偶者の決定、そして仕事の選択などです。
しかしながら、自分の将来の好みがどうなっているのか、予測する方法はありません。
「歴史の終わり」という錯覚がなければ、長期的な計画を立てることは難しいでしょう。
「歴史の終わり」は、個人の錯覚に当てはまるものですが、広い社会ではどうでしょう。
今あるものが、将来も続くと仮定しているのでしょうか。
そうであれば、世界は変わるものであり、良くなることも多いのだと、想像する必要があります。
歴史上の私たちがいる時点は、歴史の終着点ではないということは、忘れてはいけません。
感想
「歴史の終わり」つまり、現在の基準をベースに将来を定義することは、誰しもが行なっていることだ。
人は、今の自分が好きなことは、将来も好きなことだと考えがちだ。
自分の価値観に合うものだから、将来も合うだろうと考えがちだ。
しかし、これらは間違っている可能性がある。
人も社会も変わるからだ。
かといって、将来の予測には限界がある。
だから、想像の範囲内で考えるしかない。
今が続くと考える「歴史の終わり」という考え方は、間違いを生むものだが、「歴史の終わり」という錯覚がなければ、長期的なプランを立てられない。
「歴史の終わり」は錯覚なので、間違える可能性があるが、突き進むしかない。
人も社会も結局のところは、正解や間違いの中を進みながら、軌道修正していく運命にあるのだろう。
しかし、できる限り間違いや無駄は省きたい。
そのために、人間誰しも「歴史の終わり」という錯覚があることを覚えておこう。
自分の好みや考え、価値観などは、変わり続けるものだと。
それを理解した上でする決断と理解しないでする決断は、一味違いそうだ。