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世界で2番目に飲まれている飲料【TED】お茶の歴史

「今ではお茶は、水に次いで、世界で2番目に多く消費される飲料になっています。地球上の文化の数と同じぐらい様々な淹れ方で、お茶は飲まれています。」

Shunan Teng - Educator

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概要

TEDエデュケーターのシュアン・リンの講演。 

お茶の歴史について、その起源や、世界に与えた影響などについて、語ってくれた。

我々日本人にとっても興味深い、お茶の歴史について、早速シェアしていこう。

 

内容

聖書者であり農家のシェンノンは、食用に適する穀物やハーブを探しながら、あてもなく一日中森の中をぶらぶらした結果、72回も食中毒になりました。

しかし、彼が毒でこと切れる前に、1枚の葉っぱが口の中に吹き込んできました。

それを噛んだ彼は、元気を取り戻します。

こうしてお茶が発見されました。

お茶には、このような言い伝えがあります。

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お茶は実際には解毒作用はありませんが、中国の神話的な農業の創始者であるシェノンの物語は、古代中国人にとってのお茶の重要性に光を当てています。

考古学的な証拠によると、お茶が始めて中国で栽培されたのは6000年も前、つまり、ファラオがギザのピラミッドを建てる1500年前と言われています。

 

初期の中国茶の木は、今日世界中で栽培されているものと同じ種類ですが、飲み方は大きく異なっていました。

その当時、お茶は野菜と一緒に消費されたり、穀物粥と一緒に調理されたりしていたのです。

 

1500年前になって、ようやくお茶は、食べ物から飲み物に変わりました。

熱と水蒸気が混ざると、複雑で多彩な味が葉の緑色から出てくると、人々が気づいたからです。

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何百年も淹れ方を試した後に基本形となったのは、お茶を熱して持ち運びできる形に平たく固め、粉状にすり潰して熱湯を注ぎ、「むちゃ」または「抹茶」と呼ばれる飲料を作る方法でした。

 

抹茶はとても人気があり、中国茶文化が花開きました。

お茶は書物や詩の題材であり、皇帝のお気に入りの飲み物であり、画家にとっては表現の対象にもなりました。

画家たちは、お茶の泡に突飛な絵を描いたのです。

まさに、現代のコーヒーショップで見かける、ラテアートのようなものだったのです。

 

9世紀、唐の時代に、日本人の僧が初めてお茶の木を日本に持ち帰りました。

日本人は、やがてお茶にまつわる独自に儀式を発展させていきます。

これが、日本の茶道の誕生につながっているのです。

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14世紀の明の時代、中国の皇帝は標準的な製法を、お茶を押して平たく固める形から、ばらけた茶葉へと変えさせました。

その時点ではまだ、中国は事実上、世界中のお茶の木を独占しており、お茶は中国にとって主要な3つの輸出品の一つになりました。

あとの2つは、磁気と絹です。

このことが、中国に多大な力と経済的影響力をもたらします。

世界中でお茶が飲まれるようになったからです。

 

この広がりは、オランダ人貿易商が膨大な量のお茶を、ヨーロッパに持ち込んだ1600年代前半ごろに本格的に始まりました。

ポルトガルの貴婦人だった、キャサリン・オブ・ブラガンザ王妃の功績は、広く認められています。

彼女は1661年にチャールズ2世と結婚し、イギリスの貴族社会にお茶を広めました。

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その時代の英国は、植民地を広げている只中で、世界を支配する新たな勢力になろうとしているところでした。

そして、英国が拡大するにつれ、お茶に対する興味も世界中に広がります。

1700年までにヨーロッパでお茶は、コーヒーの10倍もの価格で販売され、しかも、お茶の木は中国でしか栽培されませんでした。

 

その後、西洋の貿易商間の激しい競争があり、世界最速の帆船であるクリッパー船が誕生しました。

お茶の貿易がとても儲かるので、みな利益を最大化するため、真っ先にヨーロッパへお茶を持って帰ろうと争ったのです。

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最初は中国茶を買うのに、英国は銀で支払っていました。

高価すぎることが分かると、英国は別のもので支払うことを提案します。

アヘンです。

これで人々が麻薬に依存するようになり、中国国内で公衆衛生問題を引き起こしました。

 

1893年、中国の役人は兵士たちに、英国の巨大なアヘン輸送船を破壊するように命じます。

これは、英国が中国全体に及ぼす影響力に対する、抗議声明と言えるものでした。

この行為が、2国間の第一次アヘン戦争の引き金となります。


破れた清朝が、香港を英国に引き渡した1842年まで、中国の海岸で激しい攻防が繰り広げられました。

そして、不平等な関係のもと貿易が再開します。

この戦争は、1世紀もの間、中国の国際的立場を弱めました。

 

イギリス東インド会社は、自らお茶を栽培して、市場をさらに支配することを望みます。

そこで、植物学者のロバート・フォーチュンに、秘密裏に中国からお茶を盗み出すことを依頼します。

彼は変装して、中国のお茶を栽培している山中を危険を冒しながら進み、ついにお茶の木と経験のある労働者を、インドのダージリンまで持ち出します。

そこからさらにお茶の木は広がり、日々の嗜好品としてのお茶の急速な広がりに、拍車をかけました。

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今ではお茶は、水に次いで、世界で2番目に多く消費される飲料になっています。


砂糖入りのトルコ・リゼティーから、塩の入ったチベットのバター茶まで、地球上の文化の数と同じぐらい様々な淹れ方で、お茶は飲まれています。

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感想

お茶の歴史は非常に古く、ファラオがピラミッドを建設する前、6000年前にもさかのぼるという。

その後、お茶は飲料としてではなく、食べ物として調理されていたらしい。

今では考えにくいが、確かにお粥などに入れると、効用がありそうだ。

そして、1500年前から飲み物として愛されるようになり、9世紀に日本に渡る。

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外国のものをアレンジするのが得意な日本人は、お茶を日本独自の茶道として、独自に発展させていく。

しかし、画家が抹茶の泡で絵を描いていたという話は面白い。

それは今のラテアートは、この時代のイミテーションなのかと考えさられる。

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ここまでは平和だったが、イギリスが絡んだことでトラブルが起こる。

高価格で独占状態だったお茶の代金を、イギリスはアヘンで支払うことにした。

これがアヘン戦争の引き金になり、中国は香港を占領されてしまう。

人をリラックスさせるお茶が、戦争を引き起こすのだから、人間がいかに愚かだったのか、歴史を振り返ると分かる。

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しかし、イギリスが中国から盗み出したお茶が、インドのダージリンに渡り、ダージリンティーが生まれ、それを世界中の人が飲んでいるのだから、なかなかシュールな話だ。

戦争などのトラブルがあったからこそ、茶は急速に世界中に広まり、世界各地で独自の発展を遂げ、今では世界中で水の次に飲まれている飲料になっている。

 

お茶には、世界中の人を虜にするほどの魅力があるのか、それとも、戦争を生み出すほどの魔力があるのか。

一つだけ確かなことは、お茶は美味しいということだ。

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