地球の自転が海流に影響を与えている【TED】海流が起こるしくみ?
「水は北極に向かううちに冷え、水中の塩分も濃くなります。水だけが氷となり、塩分は海水中に残るからです。」
Jennifer Verduin - Educator
概要
エデュケーターのジェニファー・バーデンが、TEDに登壇。
海流が起こる仕組みについて、講演してくれた。
海流には、風や潮、海水密度に、地球の自転までも影響しているという。
早速、その内容をシェアしよう。
内容
1992年、おもちゃ箱を積んだコンテナ船が、嵐にあいました。
積んでいたコンテナは海に落ち、ゴム製のアヒル2万8000個のおもちゃは、北太平洋の波にさらわれました。
アヒル達は一団で流されるのではなく、それどころか、世界各地の海に打ち上げられました。
研究者達はその道筋をたどり、海流を知る手がかりとしたほどです。
海流が生じる原因はさまざまなで、風や潮、海水密度の違い、地球の自転などが関係しています。
海底や海岸の地形も、流れの速さや向きに関係します。
海流には大きく分けて、表層流と深層流があります。
表層流は海面から10%までの深さで起き、深層流は残り90%の深さで起きます。
表層流と深層流は、起きる原因は違いますが、お互いに影響して、海洋全体に複雑な流れを生み出します。
海岸近くでは、表層流は風と潮の力によって、海面の上下とともに海水が前後することで生じます。
沖では、風が主な原因です。
風は海面近くの水を引っぱり、この水の動きがその下の層の水引っぱり、この層の動きがさらにその下の層の水を動かします。
なんと、海面から400メートルの深さでさえ、海上を吹く風の影響を受けるのです。
次は、ズームアウトして、海流を地球規模で見わたしてみましょう。
海流が大きな円を描き、「還流」を作っているのが分かります。
還流は北半球では時計回りの円を描き、南半球では反時計回りの円を描きます。
地球の自転が風向きに影響を与え、これが海流を発生させるために起こります。
もし地球が自転しなければ、空気も水も、気圧の低い赤道と、気圧の高い北極・南極のあいだを行き来するだけです。
しかし、地球の自転があるので、赤道から北に向かう空気は東にそれ、もどりの空気は西にそれます。
南半球では、これと反対になります。
そのため、主な風の流れは、大洋上で大きなループを描きます。
これを、「コリオリ効果」といいます。
この風によって、還流も円を描いて流れるのです。
水は空気よりも熱を逃がしにくく、還流は各地の気温をならす働きをします。
深層流は表層流と異なり、主に海水密度の違いによって生み出されます。
水は北極に向かううちに冷え、水中の塩分も濃くなります。
水だけが氷となり、塩分は海水中に残るからです。
冷たく塩分を含む水は、密度が高いために下に沈み、上には温かい水が流れ込みます。
この上下の流れは、「熱塩循環」と言います。
「熱塩循環」は、風が起こす表層流と一緒になって、地球を駆け巡る「海洋大循環」をつくります。
海水は深海からの海面へとのぼっていくとき、食物連鎖の底辺である微生物にとって必要な栄養分を運んでいきます。
海洋大循環はもっとも長い海流で、世界中の海を駆け巡りますが、毎秒2〜3センチメートルしか動きません。
一滴の水がひとめぐりするのに、一千年かかることもあります。
しかし、海洋温度の上昇により、この流れはさらに遅くなっています。
モデルによると、このことが気候システムに影響し、大西洋の両岸に被害をもたらしているようです。
この先を予測するためにも、海流の研究は欠かせません。
感想
海流の存在は知っていてが、海流がどのように生まれているのかまでは知らなかった。
海流は、風と潮によって、海面の上下とともに海水が前後することで生じる。
また、海流は地球規模では還流になり、地球の自転が風向きに影響を与えることで生じる。
さらに、海水密度の違いによっても生じる。
これらの要素が複合的に交わることで、独特の海流が生まれている。
それにしても、水が北極に向かうにつれて冷たくなることは知っていたが、水が氷になることで、海中の塩分濃度が濃くなる流れが面白い。
北極では、海中に含まれる塩分だけが残り、水は氷になってしまう。
そして、濃い塩分を含んだ水は下に沈み、上には温かい水が流れ込む「熱塩循環」になる。
さらに、その「熱塩循環」が地球全体を駆け巡る「海洋大循環」になるというのは、実にスケールの大きな話だ。
この海洋大循環が、地球上に急激な気候変動をもたらす、大きなキッカケになっている。
不眠症の本質と解消法【TED】不眠症の原因は何か?
「幸運にも、不眠症の悪循環を断ち切る方法があります。過覚醒を引き起こすストレスを、うまく管理することが、不眠症を治療する上で一番良い方法です。」
Dan Kwartler - Educator
概要
TEDエデュケーターのダン・クワトラーがTEDに登壇。
不眠症の原因と本質、そして不眠症を断ち切る方法について語った。
不眠症の本質とはなんだろうか?そして、不眠症を治す方法はどういうものだろうか?
それでは早速、内容をシェアしよう。
内容
寝付けないのはなぜ?
重大な考えごとがあるとか?
大旅行の前の興奮?
終わってない仕事のストレス?
テスト前?
気が乗らない、家族の集まりとか?
多くの人にとって、これらのストレスは、原因が無くなればサッと解消します。
しかし、眠れないこと自体がストレスになって眠れないとしたら?
この解決の見込みがなさそうな悪循環こそ、不眠症の本質です。
不眠症になると、どんなことでも、時折起こる眠れない夜の原因となります。
隣でいびきをかく人、体の痛み、精神的な悩み。
著しく睡眠を妨害する時差ボケは、体内時計を狂わせ、睡眠の時間帯を大きく乱します。
大抵の睡眠妨害は、短期間で治ります。
疲労困憊して眠るからです。
しかし、呼吸器疾患、胃腸障害や、その他多くの長期的な健康障害がある場合は違います。
眠れない夜が続き、寝室が眠れない夜を連想させ、不安で圧倒されてしまいます。
就寝時刻になると、不眠症の人はストレスがかかります。
ストレスが溜まると、脳はこれに反応するシステムを乗っ取り、「戦うか逃げるかすくむか」の反応を引き起こす化学物質でいっぱいになります。
コルチゾールと副腎皮質刺激ホルモンが血管を通り、心拍数と血圧を上げ、身体を過覚醒します。
この状態になると、脳は脅威になるものを探そうとし、少しの違和感や雑音も無視できなくなります。
不眠症の人が眠れなくなる頃には、睡眠の質も損なわれています。
脳のエネルギー源は主にブドウ糖ですが、健全な睡眠時は新陳代謝が遅くなり、覚醒時のためにこのブドウ糖を節約します。
PET検査による研究では、アドレナリンが安眠を妨害し、新陳代謝を促進することが知られています。
睡眠中でも身体は働き続け、脳にエネルギー源のブドウ糖が供給され、消費し続けます。
この症状が不眠症の人を、疲労困憊、混乱やストレスのある状態のまま覚醒させ、この過程が繰り返されます。
このようなサイクルが何ヶ月も続くと、慢性不眠症になります。
不眠症で死に至ることは滅多にありませんが、うつ病や不安症になりやすくなります。
しかし、過度に心配する必要はありません。
幸運にも、不眠症の悪循環を断ち切る方法があります。
過覚醒を引き起こすストレスを、うまく管理することが、不眠症を治療する上で一番良い方法です。
寝室を暗くし、適度に冷やし、過覚醒の怖れとなる要因を最小にします。
寝室は睡眠にだけ使い、寝室から出てリラックスしながらできる行動で疲れさせましょう。
例えば、本を読んだり、瞑想したり、ブログなどを書くと良いでしょう。
睡眠時間、覚醒時間を一定にすることで、新陳代謝を規則正しくし、体内時計を順応させます。
夜は明るい光を避け、身体に寝る時間だと促すことも大切です。
他には、睡眠剤を処方する医者もいますが、睡眠剤は常習性が強い傾向があるので、注意が必要です。
睡眠と覚醒のサイクルは微妙なバランスにあり、心身の健康を保つのに重要です。
だからこそ、時間と努力を惜しまず、規則正しい就寝時間を守り、睡眠が失われないようにしましょう。
感想
大抵の睡眠障害は一時的なものだが、不眠症はなかなか治らない。
それは、睡眠に対する不安で、身体が過覚醒してしまうことが理由だからだ。
そのため、不眠症を治すためには、過覚醒を抑える必要がある。
頭と身体をリラックスさせるには、寝室を暗くして、身体を適度に冷やし、スマホなどの刺激のあるデバイスから離れることが効果的。
また、睡眠2時間前までの、ぬるま湯での入浴も、リラックス効果がある。
寝られない時は、強い光を発しているスマホよりも、紙の文字を追うだけで読める読書にしたほうが良い。
読書にはそもそも、ストレス解消効果とリラックス効果があるし、適度に疲労するから眠りに誘いやすい。
それに、もし読み物がフィクションであれば、現実とは違う世界に入り込むことで、夢の世界に入りやすい。
不眠症を解消する秘訣は、身体と神経のリラックスだ。
疲れている状態でベッドに入り、心も頭もリラックスすることができていれば、自然と眠りに落ちていく。
時間は現実か、それとも幻想か【TED】時間は存在するのでしょうか?
「なぜ私たちは、空間ではどんな方向にも移動できるのに、時間となると一方向にしか進めないのでしょうか。私たちが何をしたとしても、過去はいつも後ろにあります。」
Andrew Zimmerman - Educator
概要
TEDのエデュケーター、アンドリュー・ジマーマンが、TEDに登壇。
時間は物理的に存在するものなのか、時間の概念について語った。
それでは早速、その考えさせられる内容をシェアしよう。
内容
時間の測定のはじまりは、自然界における周期の観察でした。
昼から夜への変化、季節の移り変わりのパターンが、暦の作成に使われました。
その後、より正確に時間を測るよう、日時計や機械式時計が発明され、より便利に時間がわかるようになりました。
しかし、私たちは一体なにを測定しているのでしょうか?
時間は物理的に存在するのでしょうか?
それとも、私たちの頭の中に存在するだけでしょうか?
一見、答えは明らかなように見えます。
もちろん、時間は存在します。
時間は私たちの周りを常に流れていて、時間がない世界など想像できません。
しかし、時間の概念を複雑にしたのは、アインシュタインです。
アインシュタインの相対性理論では、すべての人に時間は流れるが、異なる状況にいる人には、必ずしも同じ速さで時間が流れるわけではないといいます。
例えば、光速に近い速さで移動している人や、超大質量ブラックホールを周回している人です。
アインシュタインは「時空」を定義づけるために、時間と空間を紐づけることで、時間の伸縮性を解きほぐしました。
しかし、なぜ私たちは、空間ではどんな方向にも移動できるのに、時間となると一方向にしか進めないのでしょうか。
私たちが何をしたとしても、過去はいつも後ろにあります。
これを、物理学の世界では、「時間の矢」と呼びます。
現在、物理学には、柱になる方程式が2つあります。
一般相対性理論は、とても大きなスケールでの現象を説明します。
一方で、量子物理学では、とても小さな世界を説明します。
この半世紀における理論物理学の、最大の目標の1つは、この2つの方程式を1つの基本的な「万物の理論」へと調和させることでした。
たくさんの試みがありましたが、正しいと証明されたものはまだありません。
時間の概念の扱い方も、それぞれ異なります。
時間に関しては、まだ明確には分かっていません。
時間が基本的な特性として存在しているのかを疑うのではなく、時間は創発現象ではないかと考えてみましょう。
創発特性とは、集合体を構成する各個体には存在しない性質が、集合体となって時に表れるものです。
水分子単体には、波はありません。
しかし、水分子が合わさって海となれば、波ができます。
また、映像が変化するのは、多くの静止画を使って、連続的で流れるような動きがあるように見せているからです。
画像が十分な速さで連続表示されると、人間の脳は一連の静止画から、時の流れを感じ取ります。
映像を構成する各画像は、変化したり、時の流れといったものを含んだりしません。
しかし、これらの画像が一続きになることで、生み出される特性なのです。
映像の中の動きは本物ですが、同時に幻想でもあります。
では、時間の物理学も同様に、幻想なのでしょうか。
物理学者はこれらの疑問や他の疑問を、今も研究しています。
まだ、完全な答えは遠い先にあるようです。
少なくとも、現時点においては。
感想
少々難解で、考えさせられる内容だった。
個人的にも、ふとした時に、時間の概念について疑問が湧く時がある。
本当に、時間は存在するのだろうかと。
例えば、人は正月やクリスマスなど毎年イベントをするが、カレンダーはそもそも人間が生み出した、人工的なものだ。
1月も12月も、本当は存在しない。
今では当たり前に存在しているが、これが当たり前じゃない時代もあった。
24時間という時間も同様だ。
人は当たり前のように、何時何分だから何をしようという風に考えて行動しているが、1日が24時間であり、1時間が60分、1分が60秒という概念も人工的だ。
その存在は、元々あったものではない。
1日が本当は24時間でないのであれば、時間の概念も曖昧になってくる。
しかし、同時に、時間の矢というものも存在する。
時間は一方向に進み、過去は常に後ろに存在する。
この概念をもとに考えると、時間は間違いなく存在する。
未来の記憶はなく、過去の記憶はあるからだ。
また、人間は年をとるほど老化していくので、これも時間の存在を証明している。
しかし、連続した静止画が映像になるように、連続した瞬間の連続が日常だとしたら?
現実には、流れる時間というものは存在しないことになる。
こんなことを考えているだけでも面白いが、物理学は哲学的なことを考えながら、それを実証するために動いていることが分かり、そういった意味でも興味深い内容だ。
古代ギリシアから現代まで【TED】フーディ 三千年の歴史
「ツーピースのスーツを着ているのはボディガードかもしれず、本当に重要な人物が、ラフにフーディとTシャツやジーンズを着ているのです。」
Paola Antonelli
概要
デザインキュレーター、デザインの専門家パオラ・アントネッリが、TEDに登壇。
フーディ=フード付きパーカー歴史と、象徴性について語った。
それでは早速、その興味深い内容をシェアしよう。
内容
フーディというのは、凄いものです。
古びることがなく、あまりにも生活に溶け込んでいて、意識されることのない、いわば「地味な傑作」です。
フーディはその名で呼ばれるようになる以前から、歴史の中で良い意味でも悪い意味でも象徴的なものでした。
私たちに辿れる最古の例は、古代ギリシアや古代ローマ時代のものです。
中世には多くの修道士が、フード付きのケープみたいな服を着ていました。
一種のフーディです。
17世紀のご婦人は、愛人に会いに行く時、見られないようにフーディをまとったことでしょう。
そしてもちろん、伝説やファンタジーの世界もあります。
フーディのイメージは死神に結び付けられ、また処刑人のイメージもありました。
フーディの暗い面です。
フーディが現代に再び現れたのは、紐を通したフードの付いている、コットンでできた伸縮性のある服、パーカーです。
これは1930年代にKnickerbocker Knitting Companyという会社が作り始めました。
現在のChampion社です。
もともとは運動選手の防寒用でしたが、服としてとても機能的で快適だったため、すぐに労働者の間で広まりました。
それから1980年代になってヒップホップやブレイクダンス、スケートボードをする人の間で着られるようになり、街の若者文化に浸透しました。
それはとても快適で街着にぴったりでしたが、同時にフードを被ることで、必要な時には匿名性が得られるという利点がありました。
そしてマーク・ザッカーバーグが現れます。
彼はビジネスにふさわしい服装をするという慣習を意に介しませんが、興味深いのが、これが力関係の変化も示している点です。
ツーピースのスーツを着ているのはボディガードかもしれず、本当に重要な人物が、ラフにフーディとTシャツやジーンズを着ているのです。
フーディの物としての側面は、分かりやすいものです。
フードを被ったところをすぐにイメージできて、その保温性や保護性を感じますが、同時にその心理的な面も感じます。
フードを被った瞬間、守られているように、自分の殻に閉じこもったように感じるのです。
ここ何年かアメリカでは、フーディが重要な意味を持つようになりました。
17歳の黒人少年トレイボン・マーティンが、フードを被っていて丸腰であったにも関わらず、口論の末に近所の自警団員に射殺される事件が起こります。
このトレイボン・マーティン事件後、「百万人のフーディの行進」が全米で行われました。
百万人の人々がフーディを着て街を行進し、フードを被って歩いている人は怪しいという偏見が、いかに間違っているかと抗議したのです。
1つの服が、フーディのように大きな象徴性や歴史を持つことは珍しいことです。
フーディのデザインは簡単な物ですが、そこには大きな可能性の世界があります。
感想
この話を聴くまでは、フーディの歴史が古代ギリシア時代にまでさかのぼれるとは、全く思っていなかった。
確かに言われてみれば、映画などで観る古代ギリシア人は、フード付きのケープのようなものを着ている。
あれがフーディの元祖だったと考えると、フーディは人間の本質に近い部分に触れているのではないかと思うほど、興味深い存在だ。
現代でもフーディは大活躍している。
カジュアルファッションとしてはもちろんのこと、マーク・ザッカーバーグに関してはビジネスファッションとして成り立たせている。
昔はホワイトカラーはスーツでフーディはブルーカラーに流行ったらしいが、今ではCEOがフーディを着ているところが現代の面白さでもある。
選択肢が自由な時代だからこそ、間違った偏見で事件が起きるのは恥ずべきことであるし、絶対に許してはいけない。
それにしても、機能的で使い勝手の良いフーディというシンプルなデザインは、今後も長く愛されていくのだろう。
ボタンを巡る歴史【TED】ボタンが変革したファッションとは
「ボタンがなかった頃は、衣服はもっとブカブカで、着る人の体型に合わせて変化する形で、自分の体を何かで包み込むような感じでした。しかし、新しいボタンの用途が発見されるにつれ、ファションが体型に近づきました。」
Isaac Mizrahi - Fashion Designer
概要
ニューヨークのファッションデザイナー、アイザック・ミズラヒがTEDに登壇。
彼は、ボタンというシンプルなものが、どのような世界を変えたについて講演した。
ボタンが変えた世界とは、どのようなものだろうか。
早速、その歴史を感じる内容をシェアしよう。
内容
だめなボタンはありません。
だめな人がいるだけです。
誰がボタンを発明したかはわかりませんが、紀元前2000年頃にはすでにあったようです。
最初は装飾品で、衣服を縫い付ける綺麗な飾りにすぎませんでした。
それから3000年が経って、ついに誰かがボタン穴を発明すると、ボタンはすぐに実用的になりました。
ボタンにボタン穴という取り合わせは、大発明です。
ボタンは穴をするりとくぐり抜けて、しかもあるべき場所に収まり、衣服がはだける心配がないのでとても安心です。
ボタンの種類は、中世以降、あまり変化していません。
歴史上、最も息の長いデザインの1つです。
私にとって、最高なボタンは決まって丸い形です。
小さなシャンク(脚)がついたドーム型のボタンか、縁取りがあったりなかったりする丸いボタンです。
2つ穴や4つ穴もあります。
ボタンに負けず劣らず重要なのは、ボタン穴です。
ボタン穴の大きさを計算するときは、ボタンの直径に厚みを足して、若干の「あそび」を加えます。
ボタンがなかった頃は、衣服はもっとブカブカで、着る人の体型に合わせて変化する形で、自分の体を何かで包み込むような感じでした。
しかし、新しいボタンの用途が発見されるにつれ、ファションが体型に近づきました。
ある時期、ボタンは体型に合った服を作るための、ここぞという方法でした。
ボタンがこんなに長期間使われてきた歴史的な理由は、衣服を閉じ込めておくのにすごく役に立ったからだと私は思います。
ファスナーは壊れやすく、マジックテープはうるさいですし、そのうち摩耗します。
ボタンは取れても、また縫い付けるだけで済みます。
ボタンはいわば、ロングセラーです。
これまでの中で最も基本的なデザインというだけではなく、着る人を華麗に際立たせるためのアイテムでもあります。
子どもの頃、母が綺麗なセーターを編んでくれましたが、私はそれが気に入りませんでした。
そこでボタンを見つけて、ボタンを付けた途端、このセーターが大好きになりました。
自分のセンスが悪くてボタンが選べないなら、他の人に選んでもらいましょう。
本気ですよ。
感想
普段、何気なく留めている洋服のボタン。
これは、いかにも歴史がありそうだとは思っていたが、紀元前2000年前から存在していたという事実は面白い。
しかし、それから3000年ほどは単なる装飾品として続き、1000年ごろにようやくボタン穴が発明される。
それからまた1000年ほど経った現代まで、ボタンの種類はほぼ変わらず、ボタンという商品はロングセラーになっている。
身の回りの物で、子どもの頃から何十年も変わらない物は珍しいが、確かにボタンには変化がない。
昔からあるし、今もほぼ変わらない、普遍性のあるものだ。
これからも、ボタンのデザインはしばらく変わらないのだろう。
ボタンがある前は、着物などでもそうだが、体型に合わせて変化するファッションが主流だったという話も興味深い。
そして、ボタンが生まれたことで、ファッションが体型に近づいたという変化は、歴史的な観点でも大きなことだ。
現代では、体型に合わせたファッションがいくらでも手に入る。
日本の場合は、江戸時代から明治時代に移りゆく文明開化の中で、人々のファッションは着物から西洋式のボタンがある洋服にシフトしていったのだろう。
ファッションから歴史を考えると、過去の人間の姿をリアルに感じられて面白い。
人の好みも価値観も変わり続ける【TED】「歴史の終わり」という錯覚
「歴史上の私たちがいる時点は、歴史の終着点ではありません。世界は変わるものであり、良くなることも多いのだと理解する必要があります。」
Bence Nanay
概要
TEDエデュケーターのベンス・ナナイがTEDに登壇。
「歴史の終わり」という錯覚について講演した。
私たちは、今いる時点から物事を考えがちだが、私たちの好みや価値観、そして社会は、予想以上に変わっていくものだと語る。
それでは早速、その興味深い内容をシェアしよう。
内容
鉄道が地域を繋いで人々を運び始めた時、多くの人は、それが馬を置き換えるとは思っていませんでした。
100年もせず、人はまた同じ予想を繰り返します。
自動車に電話、ラジオ、テレビ、コンピューター。
陳腐化させうるものがあるにも関わらずです。
そんなものが普及するはずがない、こう主張する専門家さえいました。
もちろん、未来がどうなり、どんな新製品が発明されるのかを、正確に予測することはできません。
しかし、私たちは、現在の技術が未来をどう変えるのかの予想も、よくし損なっています。
最近の研究で、自分に関することでも同じ傾向があるのが分かりました。
人は、自分の将来の変化を、うまく予想できないのです。
3人の心理学者が2013年の論文、「歴史の終わりという錯覚」で、自分の変化に関する予想力の弱さについて論じています。
人は、いつの時点でも、自分を最終形態とみなしていることが論文で浮き彫りにされてます。
彼らは、18歳から68歳までの7000人を対象として調査し、そのうち半数には、現在の性格・価値観・好みを10年前はどうだったかと合わせて、答えてもらいました。
そして、残りの半数には、現在の自分と10年後の自分の予想を答えてもらいました。
また、年齢による変化率も調べました。
すると、どの年齢層でも、若い側が予想する変化は年配側が予想する変化よりも小さかったのです。
20歳の人は30歳になっても同じ食べ物が好きだと思っていますが、30歳の好みは10年前と変わっていました。
30歳の人は40歳になっても同じ友達だと予想しますが、40歳に人は10年前の友達と付き合いが途絶えてる傾向がありました。
40歳の人は自分の価値観は変わらないと予想しますが、50歳になると考えはまた変わっていました。
全体として年配の人は若い人より変化が少ないですが、自分の今後の変化を過小評価していることに変わりはありません。
人生のどの地点でも、「歴史の終わり」という錯覚は訪れるもので、個人的変化は概ね過去のものと思う傾向があります。
この考え方の結果として、現在の好みに基づいた将来の選択に、過剰投資する傾向があります。
現在好きなミュージシャンを10年後に見るために払おうと思う金額は、10年前好きだったミュージシャンのために今払おうと思う金額より、平均で6割以上高いのです。
コンサートのチケット代金は大したことではありませんが、私たちはもっと重大な事柄についても、同様の計算違いをしがちです。
例えば、家の購入や、配偶者の決定、そして仕事の選択などです。
しかしながら、自分の将来の好みがどうなっているのか、予測する方法はありません。
「歴史の終わり」という錯覚がなければ、長期的な計画を立てることは難しいでしょう。
「歴史の終わり」は、個人の錯覚に当てはまるものですが、広い社会ではどうでしょう。
今あるものが、将来も続くと仮定しているのでしょうか。
そうであれば、世界は変わるものであり、良くなることも多いのだと、想像する必要があります。
歴史上の私たちがいる時点は、歴史の終着点ではないということは、忘れてはいけません。
感想
「歴史の終わり」つまり、現在の基準をベースに将来を定義することは、誰しもが行なっていることだ。
人は、今の自分が好きなことは、将来も好きなことだと考えがちだ。
自分の価値観に合うものだから、将来も合うだろうと考えがちだ。
しかし、これらは間違っている可能性がある。
人も社会も変わるからだ。
かといって、将来の予測には限界がある。
だから、想像の範囲内で考えるしかない。
今が続くと考える「歴史の終わり」という考え方は、間違いを生むものだが、「歴史の終わり」という錯覚がなければ、長期的なプランを立てられない。
「歴史の終わり」は錯覚なので、間違える可能性があるが、突き進むしかない。
人も社会も結局のところは、正解や間違いの中を進みながら、軌道修正していく運命にあるのだろう。
しかし、できる限り間違いや無駄は省きたい。
そのために、人間誰しも「歴史の終わり」という錯覚があることを覚えておこう。
自分の好みや考え、価値観などは、変わり続けるものだと。
それを理解した上でする決断と理解しないでする決断は、一味違いそうだ。
建築家が語る階段の魅力【TED】私たちの生活を形作る階段の隠れた役割
「階段には、人の動作や感情を演出する効果がある。」
David Rockwell
概要
アメリカの有名建築家、デイヴィッド・ロックウェルがTEDに登壇。
階段の持つ隠れた役割について、講演した。
彼は、階段がいかに人の動作や感情を演出するかを説明する。
それでは早速、その内容をシェアしよう。
内容
ひょっとすると階段は、建築家が扱うものの中で最も感情に影響を与えやすい、物理的要素かもしれません。
基本的に階段は、高さの異なるA地点からB地点に行くための手段です。
階段には、共通語があります。
私たちが歩くのが「踏み面」で、「踏み込み板」は2枚の踏み面を隔てる垂直の板です。
階段の多くは、踏み面の先に「段鼻」がついています。
そして、連結する部分が「側桁」です。
このように、様々な形をした部品から、すべての階段はできています。
階段が作られたきっかけは、多分誰かが言ったのでしょう。
ある低い岩から、この高い岩に登りたいと。
人々は使えるものは、何でも使ってきました。
時と共に踏み固められた自然道など、ピラミットや中国の泰山を登る道にあるような、ごく初期の階段のいくつかは、人々が神への崇拝や加護を求めて高みへと到達するための手段でした。
技術が進歩するにつれて、実用性も進歩しました。
階段は様々な材質で作ることができ、直線階段もあれば螺旋階段もあり、室内にも室外にも作ることができます。
緊急時には間違いなく役立ちますが、階段そのもの自体がアートの一様式でもあります。
階段を上り下りする時、階段の形状は私たちの歩調、感情、安全を左右し、私たちの周囲の空間との関係性や関わり方に影響します。
優雅な階段は、なだれ混むような狭い階段とは違います。
幅にゆとりがあり、最上部から素晴らしい光景が待っている階段もあります。
一方、階段が急だと、歩調も急になり、せかせかします。
階段は壮大なドラマをもたらしてくれます。
9.11の世界防衛センターへの攻撃に、持ちこたえて残った階段は、「Survivors's Staircase(生存者たちの階段)」と呼ばれています。
何百もの人々を安全な場所に導く、主要経路の役割を果たしたからです。
小さな階段も大きな効果を生むこともあります。
アメリカにある、家の玄関先にある階段からは、街の様子を眺めることができます。
人々は、階段に集まります。
私たちの深い人間的欲求を、階段が満たしているのだと思います。
だからこそ、階段に腰掛けると、誰もがリラックスした気分になるのです。
感想
生活圏とは違うジャンルの職業の人の話を聞くと、フォーカスしている部分が異なるからこそ、発想の幅が広がる。
今までは、階段は階段としてしか考えていなかったが、建築家というスタンスで階段を今一度考えてみると、確かに様々な種類があることに気づく。
シンプルに、上下に上り下りするためだけの階段。
お洒落さを重視した、飾りとしての階段、アートとしての階段。
その場に貫禄を持たせた幅の広い階段、そして、ゆとりのない幅の狭い階段。
コントクリート製の階段や、木造の階段。
世の中にはあらゆる階段があり、それぞれの階段が、様々な効果を演出する。
階段の歴史は古く、何千年も前からあるようだ。
上に登るための方法が階段しかなかった時代は、神々しい存在でもあったという。
確かに、ヨーロッパの歴史地区にある神殿などは、階段が神々しく印象的だ。
日本の神社にある階段も、神々しい雰囲気が漂っている。
個人的には、古い洋館などにあるような、螺旋階段が好きだ。
あの余裕感とアート性が魅力的で気に入っている。
私たちにとって階段は、身近すぎて意識していないが、意識してみると階段は魅力に溢れている。
雰囲気を演出する効果は、抜群にある。